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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)57号 判決 1965年8月07日

控訴人(原告)

宋永輝

法定代理人親権者

宋又永

訴訟代理人

石井麻佐雄

被控訴人(被告)

崔童

訴訟代理人

石島泰・外一名

主文

原判決を次の通り変更する。

被控訴人は控訴人に対し金三一万七七一〇円および内金一〇万八二一〇円に対する昭和三六年一二月二一日以降、内金二〇万九五〇〇円に対する昭和三七年三月一日以降完済迄各年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

本判決は控訴人勝訴の部分に限り金一〇万円の担保を供するときは、仮にこれを執行することができる。

事実

控訴代理人は『原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金三一万七七一〇円(控訴代理人は当審において右の通り請求を減縮した)およびこれに対する昭和三六年一二月二一日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。』との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張並びに証拠関係<省略>

理由

一、前訴の既判力について

控訴人が被控訴人を相手どり本件と同一の事故につき同一過失を理由として、昭和三一年一二月三日東京地方裁判所ヘ治療費金二〇万円、慰藉料金三〇万円、身体傷害により将来普通人なみの収入を得ることができなくなつたことによる得べかりし利益金五〇万円計金一〇〇万円の不法行為に基く損害賠償請求の訴(以下前訴という)を提起し、同裁判所はそのうち慰藉料金二〇万円のみを認容してその余の請求を棄却したところ、双方より控訴したが、東京高等裁判所は同裁判所昭和三三年(ネ)第二五五九号、第二六二三号事件として審理の上、昭和三五年三月二五日終結した口頭弁論に基き昭和三六年一〇月一六日言渡の判決を以て、慰藉料のみさらに金一〇万円を認容したに止まり、右判決が確定したことは、右訴訟事件の訴状(甲第八号証)、その第一、二審判決正本(甲第一号証の一、二、甲第二号証)および口頭弁論の全趣旨に照らし明らかである。

これにつき被控訴人は『前訴において控訴人は漠然と治療費として金二〇万円を主張したものであつて、控訴人が本訴で主張するように前訴における治療費は前訴提起までの治療費という趣旨は何ら認められず、もとよりその趣旨にそい支出の日時、相手方、金額等を特定する具体的な主張もなされなかつたのである。従つて前訴における控訴人本来の主張は、金二〇万円の賠償がなされるならば、治療に関する損害は填補され得る、即ち控訴人の身体傷害は金二〇万円を要する治療によつて評価されうるというものであつたのであり、そうすると控訴人は少くとも治療費に関する限り、前訴において全額という趣旨で請求しているのであつて、これにつき請求棄却の確定判決を経た後に、前訴の請求は一部であつて、他に請求しうべき残額ありとして、新たに訴を提起することは不適法にして許されないと謂わざるを得ない』と主張する。

よつて按ずるに、前訴の訴状および第一、二審判決の正本によれば、控訴人の前訴における治療費の請求は『治療費として金二〇万円を支出したから、同額の損害賠償を求める』というだけであつて、被控訴人の主張する通り、その支出の日時、相手方、金額を明示してはいないけれども、さればと言つて『支出した治療費金二〇万円』とは支出したると否とを問わず又将来受けるかもしれぬ手術の費用までも含むと解することは語義に反するから、右の『支出した治療費金二〇万円』というのは、第二審における口頭弁論終結の日たる昭和三五年五月二五日迄に支出した治療費金二〇万円に特定して、これを請求したものと解するのが相当であり、さればこそ前訴の第一、二審判決はいずれも『本件事故の医療は生活保護法による医療扶助によつたものであつて、控訴人やその親権者が自ら医療費を支出したものと認むべき証拠はない』とだけ判断して、治療費の請求を棄却しているのであつて、将来の手術の要否その金額にまで立入つて判断の上請求を棄却したものではないのである。

尤も前顕証拠によれば、控訴人は前訴において本件身体傷害による運動機能障碍を回復不能として慰藉料および得べかりし利益を同時に請求しているけれども、後遺症たる運動機能障碍は回復不能にせよ、その進行悪化を防ぐため治療を受けることもありうるのであるから、控訴人が運動機能障碍の回復不能を前提に慰藉料や得べかりし利益を請求しているということは、客観的に見て、将来後遺症について治療を受けないことを意味しているとは断定できないし、身体障害は時に余病の併発、後遺症の進行、症状の再発、医術の進歩等により予測しがたい経過をたどることを考慮すると、他に格別の事由もないのに『支出済治療費金二〇万円』の請求を以て、本件事故による身体傷害の治療費は、支出済みの分はもとより将来受けるかもしれぬ手術費用まで凡そ治療費と名付けられるものの一切を包含した請求であると解することは困難と謂わねばならない。のみならず、控訴人が前訴において運動機能障碍は回復不能だから爾後その治療をうけることはなく、従つて支出済みの治療費金二〇万円だけで治療費はすべてであると考え、その趣旨で請求していたと仮定しても(必ずしも左様に解すべきものでないことは右に述べた通り)、それはその考が誤つていたというに止まり、前訴の訴訟物は依然『支出済み』と特定された治療費に限定され、後日の治療費までも訴訟物とされるに至つたものではないと解するのが相当である(昭和三二年六月七日最高裁判所の判例は本件に適切でない。)。されば前訴における控訴人の治療費の請求はさきに述べた通り第二審の口頭弁論終結の日たる昭和三五年五月二五日迄に支出した治療費に限定して金二〇万円を請求したものと解すべきところ、一個の不法行為に因つて生じた財産上の損害のうち特定の一部の損害についての確定判決はその一部の損害と明らかに区別できるその余の損害についてまで既判力をおよぼすものではないから(最高裁昭和三七年八月一〇日判決、集一六巻八号一、七二〇頁参照)、控訴人が前訴の第二審口頭弁論終結後に至つて再手術を受け、これに要した費用を損害としてその賠償を請求する本訴に対しては前訴の確定判決の既判力はおよばないものと謂うべきである。これに反する被控訴人の主張は採用できない。よつて以下控訴人の請求の当否につきその実体に入つて判断することとする。

二、被控訴人がその所有にかかる東京都品川区西中延一丁目一四六番地所在の倉庫を訴外殷熙州に賃貸し、同訴外人は右倉庫の西側半分を事務所とし、他の半分を工場として電球製造業を営んでいたところ、昭和二八年一一月頃控訴人の父宋又永は殷の許可をうけ、控訴人を連れて右工場部分に住込み、電球製造工として働いていたこと、被控訴人は前記の通り倉庫を訴外殷に賃貸するに当り、倉庫内に硫酸の入つた高さ約二尺、直径約一尺五寸の円筒型の陶製のかめが置いてあつたので、訴外殷に対し「硫酸が入つているが、適当な場所に片付けておいてくれ」と依頼したこと、訴外殷は昭和二八年一一月末頃前記倉庫の内部を改造するに際し右硫酸入りのかめが邪魔になり、適当な置場所がなかつたため、控訴人父子らが通常出入する前記工場部分の出入口の向つて左側の板壁に殆んど接着して、通路上に硫酸入りのかめを置いたこと、右個所は出入口附近でなにかの拍子によろめいたりした場合は直接右かめに突当る危険性のある位置であつたこと、右出入口は控訴人父子らが出入するほか、事務所をなす部分に被控訴人使用の電話が置かれていたため、被控訴人もこれを使用する関係で右出入口を出入していたこと、昭和二八年一二月四日控訴人が右硫酸入りかめの置いてあつた場所で硫酸に触れて火傷を負つたこと及び控訴人は昭和二三年三月二日宋又永の長男として生れ、当時五才であつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

三、<証拠>によれば、右の硫酸事故は、控訴人が被控訴人の子崔大信(当時五才)と友達になつて、昭和二八年一二月四日午後零時四〇分頃被控訴人方でめんこ遊びをしているうち、喧嘩となり、控訴人が前記工場内の父の許に逃げ帰ろうとしたところ、崔大信がこれを追いかけ、丁度控訴人が前記工場内に逃げこもうとして出入口の戸に手をかけたとき、崔大信が追いつき、控訴人を押したので、控訴人はよろめいて前記硫酸入りのかめに突当り、かめが割れて硫酸が流れ出たため、控訴人は足にこれを浴びて火傷を負つたこと、右の硫酸は、被控訴人が廃品回収および古物商を営んでいるのでその商品のメツキをとる等のために使用する目的で購入したものであること、訴外殷は本件事故の約一〇日前から前記の個所に硫酸入りのかめを置いていたので、被控訴人においてもこれを目撃して知つていたこと、硫酸入りかめの置かれてあつた通路は幅約三米二五糎で、被控訴人方前の空地から表通りに通じる通路であつたことがそれぞれ認められる。右認定に反する<証拠>は措信しない。

四、右二および三に認定した事実から考えると、硫酸は毒物および劇物取締法にいわゆる劇物にあたり、保健衛生上その取締に厳重な取締が必要とされているものであるから、一般にこれを所持又は保管する者は、その貯蔵容器を置く場所については、安全な場所を選び又は厳重な施設を施す等その保健衛生上の危害を防止するために万全な取扱をする義務があることは言うまでもないところであるに拘らず、被控訴人はさきに硫酸入りかめの置いてあつた倉庫を訴外殷に貸す際、そのかめを適当な場所に片附けるよう同人に依頼しただけで、たまたま右かめが人の出入する前記出入口の表側附近に置かれてあるのを目撃しながら、これをそのまま放置したため、本件事故が発生するに至つたものであつて、本件事故の発生は訴外殷の過失と共に被控訴人の硫酸を所持保管するものとしての過失に基因するものであることが明らかである。

五、されば被控訴人は控訴人に対し本件硫酸事故による火傷の治療費は勿論、後日その後遺症の治療に要した費用についてもその賠償をなすべき義務があるところ、<証拠>を総合すれば、控訴人の本件硫酸事故による火傷そのものは治癒したが、その後遺症として患部(右足関節部)に強直を来したので、昭和二九年一二月一日より翌昭和三〇年九月三〇日迄外科医横山知爾の診療を受けたこと、それにも拘らず右足関節部の強直(内反足)快方に向わず、却つて徐々にではあるが悪化し、遂に横山医師は治療不能と診断し治療を中止したこと、昭和三三年五月八日横山医師は念のため控訴人の右足関節部のレントゲン写真を撮り(前訴において同医師は証人として喚問されたので、その証言に資するため右のレントゲン写真を撮つたものと判断される)、検査したが、昭和三三年七月一七日証人尋問当時現在の症状では、手術によつて控訴人の内反足を治療することは不可能と言つても過言でなく、寧ろ切断して義足を用いた方がよいと思われると診断したこと、控訴人は足を切断するに忍びず、そのままにしていたところ、身体の成長に伴い、益々内反足の度がひどくなり、歩行が苦痛となつたので、昭和三六年六月頃第一北品川病院整形外科医中山忠雄の診断を受けた結果、内反足治療のため患部に皮膚移植手術をすることがよいとされ、同月より同年九月迄と、同年一一月より翌年二月迄同病院に入院の上、二回にわたり中山医師の皮膚移植手術をうけたこと、然しながら手術の結果は若干内反足の度が軽くなつただけで、到底内反足が完全に治癒するに至らなかつたことがそれぞれ認められる。而して<証拠>によれば、前記第一北品川病院における入院治療費として金三〇万三八四〇円、ほかに手術に必要な輸血代として金一万三八七〇円、計金三一万七七一〇円を要し、内金一〇万八二一〇円は昭和三六年一二月二〇日迄に控訴人の親権者たる宋又永において支払済であるが、残余はなお未払のまま債務として残つていることが認められる。他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。従つて特段の事情の認められない本件においては、控訴人は被控訴人に対し損害賠償として右の金員を請求しうるものと謂わねばならない。

六、次に被控訴人は『本件事故は昭和二八年一二月四日に発生したのであるから、控訴人が本訴を提起した昭和三七年七月三日はすでに事故発生時より三年を経過した後であつて、控訴人の本件損害賠償請求権は時効によつて消滅した。

身体傷害により身体に加えられた損害は通常治療費という形で評価されるけれども、それは金銭的に評価するための便宜であるからであつて、損害としては身体傷害の事実自体であることは言うまでもない。而も損害発生の事実を知つていれば、損害の程度や数額を知らなくても民法第七二四条にいう損害を知つたものに当り、不法行為により身体に傷害を負い、その状態が継続し、以後引続き将来にわたつて損害を蒙むる場合でも、被害者が不法行為のあつたこと、その結果何らかの損害を蒙つたことを知れば、損害の数額や程度を知らなくても、その時から全範囲について時効期間が進行するのである。』と主張する。

按ずるに民法第一六六条は『消滅時効は権利を行使することを得る時より進行する』と規定し、権利を行使するのに法律上の障碍がない限り、事実上その行使ができない場合でも、その消滅時効は進行するが、同法第七二四条は不法行為につき特則を設け、損害賠償請求権の消滅時効の進行については右の原則を緩和し、法律上その行使に障碍がなくても、被害者又はその法定代理人が加害者や損害を知らず、ために損害賠償請求権を行使することが事実上不可能のうちは、消滅時効の進行が開始しないものとして被害者を保護したものである。されば同条項の『損害を知る』とは、右の趣旨に則つて理解されねばならない。不法行為により身体を傷害されたものは、加害者に対し損害として治療費を請求できることは勿論であり、それは治療費が、不法行為による財産的損害と考えられるからであるが、当該身体傷害に対しある特定の治療を施すべきか否かが明らかでないような場合には、後日その治療を受けるようになるまでの間はその治療の費用、すなわち財産的損害は未だ生じたものということはできず、従つてその間は前記法条にいう『被害者が損害を知つた』場合に当らないと解すべきである。このことは身体傷害にあつては受傷時より相当期間経過後に予め治療することの困難な後遺症が現われそのために受傷当時における治療の外に後日更めて治療をする必要の生ずることが稀でないことを考えるときは自ら明かである。もつとも被害者の受けた傷害またはその後遺症に対する治療方法として医学上殆ど異論のないものにあつては、被害者は通常かかる治療を受けるであろうし、またその治療費の額を予め算定することも可能であるからかかる治療費に関する限り被害者はその傷害または後遺症の発生を知つたときに前記法条にいう『損害を知つた』ものと解して差支えないであろう。

被控訴人は不法行為による身体傷害の場合はその傷害自体が損害であるから被害者において傷害の事実を知れば損害の数額や程度を知らなくてもその時効は進行するというが、もしそのように解すると、被害者としてはたとい傷害の事実を知つたとしても、当時においては未だ必要性があるかどうか分らない治療の費用についてこれを損害としてその賠償を請求するに由なく、結局権利行使ができないのに拘らずその消滅時効の進行が開始することとなり時効の起算点につき前記特則を設けた趣旨にも反し、右主張は到底採用できない。

今これを本件についてみるに、前記五において認定した控訴人の受傷後における治療の経過に<証拠>を綜合すると、控訴人の本件火傷の後遺症である右足の内反足に対し中山医師のなした植皮手術が果して十分に効果のある治療方法であるかどうかは控訴人の受傷当時は勿論その後内反足の症状が現れた後においても医学的には必ずしも異論がなかつたわけではないことが窺えるから、右植皮手術による治療費すなわち財産的損害は控訴人が現実にその治療を受けるまでの間は未だ発生したものということはできず、従つてその間にあつてはその損害賠償請求権の時効が進行することはないというべきである。控訴人が右手術を受けたのは昭和三六年六月以降のことであり、本訴が提起されたのは昭和三七年七月三日であつてその間三年を経過していないから、本訴提起当時には未だ本件損害賠償請求権の時効が完成していないことは明らかである。被控訴人の時効の抗弁は理由がない。

七、被控訴人は『本件事故発生現場附近は元来遊び場でなく、控訴人はここで遊戯中被控訴人所有の工場内に馳け込もうとして、硫酸入りかめに突当つてこれを割り、流出した硫酸によつて火傷を負つたものであるから、自らの悪戯により損害を蒙むつたものであつて、本件事故の発生については、控訴人にも重大な過失があり、また控訴人の親権者宋又永にも監督義務違反の過失があるから、過失相殺を主張する』と謂うけれども、前認定の通り、控訴人は当時五才で、被控訴人方で被控訴人の子とめんこ遊び中、喧嘩となり、被控訴人方より逃出し、工場の入口から中にある自宅に入ろうとしたところ、追いついた被控訴人の子供に押されたため、硫酸入りのかめに突当つてこれを割つたものであるが、控訴人も親権者もそのかめに硫酸の入つていることを告げられた事実や、外観上硫酸入りのかめと判る表示のされていた事実を認むべき証拠の見当らないことを考慮すると、控訴人やその親権者に損害賠償の額を定めるについて斟酌すべき過失があつたとは認められない。

八、以上の次第で控訴人の請求中輸血代と入院治療費の合計金三一万七七一〇円とその内親権者宋又永において昭和三六年一二月二〇日迄に支払済の金一〇万八二一〇円に対する同月二一日以降、残金二〇万九五〇〇円に対する入院治療の終つた後たる昭和三七年三月一日以降完済迄各年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は相当であるが、右の未払額金二〇万九五〇〇円に対する入院治療中であつた昭和三六年一二月二一日以降昭和三七年二月末日までの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は失当である。よつてこれと異る原判決を変更して右の限度で控訴人の請求を認容することとし、民事訴訟法第三八四条、第三八六条、第九六条、第九二条、第一九六条の各規定に則り主文の通り判決した。(岸上康夫 室伏壮一郎 斎藤次郎)

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